
六相円融義

クレマチス=精神的な美しさ

在廊中も常に次の釉薬の事で頭が一杯。来年どういう色にたどり着いているか今から楽しみです。

液体と個体の狭間。
やわらかいものを留めておく、という感覚はおそらく作り手にしか分からない感覚なのでしょう。
編み出されては綿々と流れ受け継がれてきた技法の数々。
その途中に身を置き、更なる探求を続けつつも、ただあとは流れのなすままに。
概ねモノづくりとは流動する悠遠な歴史の一刻を留める行為の繰り返しのような気がします。

自然環境と切磋琢磨する厳しい必要性が、長い歳月の間に一貫した形を作り上げ、その磨き抜かれた合理性がいつしか美しい風情を醸し出す姿となる。
人間が他の動物と一番異なることは、環境に揉まれれば揉まれるほど、暮らしに磨きをかけていくことだ。
外部環境の脅威と対峙していた時、人間はその住処を、野生動物の体のように聡く適応力あるものにしようと努めた。しかし、いつしか人間がその環境のなかで安住できるようになって以来、人間の脳機能は、働く事自体を自己目的化し、際限なく巨大化し、大きな負荷になって人間を苦しめるようになった。
身体や住処は単なる物体ではなく、役割をもち、役割を果たすように機能し続けるものであることが基本だ。
生命活動の場合、環境のなかで最適を目指し続けようとする働きを引きついでいくと言い換えてもよい。形は、物そのものとして存在価値があるのではなく、その内部に秘められた掛け替えのない力を思いやるものなのだ。
『風の旅人#2』還るところ 佐伯剛 より
2011.6.11 気宇

何はともあれ第一回目の井のいちが無事終了しました。
何かを書かなくてはと思いつつ、あっという間に日が経ってしまいました。
例年より早い梅雨入り、台風という生憎の天気に見舞われた井のいちでしたが、想像していた以上に多くのご来場者にお越し頂きほっとしています。
まずは、出展者の方々、来場者の方々に深くお礼を申し上げます。
この計画を立案したのは約8ヶ月前です。
その間に起こった東日本大震災。その前後では少し井のいちに対する考え方が変わったかもしれません。
自分は結局の所重要なのは人の主観的な人生の質のだと思います。
モノを作ったり売ったりすること美しさなどは最終的には人が人として生きる尊厳や主観的な人生の質に関わる重要な仕事だと思います。<中略>
自分が思ったのは、そういったときにその事実をどれだけ深く自分の問題として考え、自分たちにそれが起こったときにも心が折れないように生きられるよう自分の心棒(ママ)を強靱にしていくことが大切に思えました。
震災直後に知り合いの作家がくれたメールの一部です。
コミュニティー再生などとはよく聞く言葉ですが、おそらく昔のままの「場所」を基軸にしたコミュニティーを再生しようとしても無理があるような気がします。
しばらく前に読んだ養老孟司さんのコラムに書いていたような気がするのですが、
元々日本人がもっていた「諸行無常」という感覚とは異なる西洋的な(いわゆる「変わらない」)「個人」主義の観念をそのまま導入して「個性」などを育もうとしても上手くいくはずがない。家族や組織というものが崩れて、「個人」が社会と直接に関わりを持たなくてはいけなくなった時、「公」としての個人というものは本来国家によって守られなくてはいけないのにそうなっていない。
そして、まさしく現状ではその守られていない「個人」が最小単位の社会になりつつあります。
未曾有の自然災害とは別に、人災によって今まさに起こっているもうひとつの問題。
このような不安な時代では、否が応でもあらゆる出来事に対応できる心構がますます必要になってくるでしょう。
そして今までの「場所」を基軸にしたコミュニティーが完全に解体され、感性や思考によって自然派生的に集まった新しい「個人」によって今までとは異なる形のコミュニティーなりがその場所の一角、もしくは場所を超えて再構築されていくのだと思います。
2011.5.16 境界

この世界がきみのために存在すると思ってはいけない。世界はきみを入れる容器ではない
世界ときみは、二本の木が並んで立つように、どちらも寄りかかることなく、それぞれまっすぐに立っている。
きみは自分のそばに世界という立派な木があることを知っている。それを喜んでいる。世界の方はあまりきみのことを考えていないかもしれない。
でも、外に立つ世界とは別に、きみの中にも、一つの世界がある。きみは自分の内部の広大な薄明の世界を想像してみることができる。きみの意識は二つの世界の境界の上にいる。
大事なのは、山脈や、人や、染色工場や、セミ時雨などからなる外の世界と、きみの中にある広い世界との間に連絡をつけること、一歩の距離をおいて並び立つ二つの世界の呼応と調和をはかることだ。
たとえば、星を見るとかして。
ラジオゾンデのお二人の音楽を聴くと、
二十歳の頃友人に薦められて読んだ池澤夏樹著『スティルライフ』の冒頭を思い出します。
今や二項対立型の思考で把握できる世の中でないことは間違いない。
しかしながら、いや、だからこそあらゆる世界との境界に立ち、眼界を広げ、いくつかの世界と連絡がつく状態にいることがとても重要なのでしょう。
空中を浮遊し、地上を俯瞰するラジオゾンデの音楽は、自然圏と人間圏。そして冒頭の外の世界と自分の中にある薄明広大な世界。そういった世界の調和をはかるもののひとつだと実感します。
まさに星を見ることと同じように。
本来昨年末に立て壊す予定であったこの古いビル。
取り壊しが延期になり、元々コインパーキングだった場所に壁をつけて今年から当店が倉庫として借りられることになりました。
しかし、当店が店舗として使っている場所より倍はある広さ。ちょこんと在庫を保管しておくだけではもったいない。
『井』の仲間 studio de vueの田崎さん(今回映像で参加いただきました)にラジオゾンデの津田貴司さんをご紹介いただき、実現したこの企画。
当日会場で、Sさんが「考えてみればストックヤード=倉庫だもんね」と言っていましたが、まさに!
空調もなにもついておらず、密閉された場所に30人が集まるとかなり暑い。
自分自身の進行上の至らなさはさておき、感じたのは、
音楽はどこでも奏でられるということ。場所というのは「洋服」のようなもの。
着飾るのも楽しいかもしれないけど、こんな時だからこそなんとなく立ち返る。
まずは演奏をする人、それを聴いて喜んでくれる人がいること。それが一番大切なことだと実感しました。
器などと同じ様に、作る人、使う人。
それらをつなぐ架け橋としてこれからも当店は精進していきたいと思います。
今回は、音楽と映像、ご来場の方々に助けていただきました。
心よりお礼申し上げます。